社会人2年目で、それまでの技術職から営業職へ職種転換をしました。
元々、営業志望ではあったものの、営業1年目は、不景気な上に、
自社は分社化の混乱中で、仕事を受ける体制も整っておらず、
1年目の営業マンとしては、「こんなはずじゃなかった」というガッカリ感の毎日を過ごしていました。
そんな営業1年目の11月に、修行として、親会社への出向を打診され、
悶々とした日々を過ごしていた私は、その話に飛びつきました。
営業職の人間が、1人の先輩と私の2人だけ、という小さな所帯から、
営業マンが50人以上もいる大阪に着任し、若さに任せてガムシャラに働いた そこからの2年間は、
とても刺激的で充実した時間を過ごすことが出来ました。
その2年間にあった様々な話は、いつか後日に書くとして、
今日は、心に残る思い出シリーズとして、2年間の出向期間が終盤に差し掛かった頃の、
その後も、師匠と慕うことになる先輩とのことを書こうと思います。
大阪での営業マン生活は、市場やお客様の違いもあり、
案件の規模は大きくなり、内容も濃いものばかりで、楽しさのあまり、シャカリキに働いていました。
それなりに結果も出て、居心地よく、充実した日々も終盤に差し掛かった頃、
当時の上司や周囲からは、親会社への再転籍を勧められることが多くなりました。
その時に、一貫して、再転籍を否定し、福岡に戻るべきであるという事を説いてくれたのが師匠でした。
・あなたの成長を願い、あなたが成長して戻ってくることを期待してくれている人を裏切るな。
・大阪の1億円案件と、福岡での1千万円案件の価値は、どちらに価値がある等、誰にも決められない。
うちの会社が九州に拠点を構える限り、そこで取る案件には価値がある。
福岡よりも、案件規模が大きく、自分自身としても成果を出せていると感じていたこともあり、
「このまま親会社に残った方が良い」という周囲からの言葉に、
少なからずグラついていた私を、シャキッとさせた言葉でした。
自意識過剰であることを承知で書きますが、
きっと、その翌年も大阪にいたならば、その先輩の部下や後輩として役に立ったであろう私を、
ブレない価値観で正しい道に導くことが出来ることに尊敬の念を抱きました。
翌年、無事に福岡へ帰任することになるのですが、そこから20年以上もの間、
今もなお、悩むこと、迷うことがある度に相談をする先輩(師匠)です。
たくさん、生意気も言って叱られていますが、心から感謝し尊敬しています^^
日々、判断しないといけない事、決断しないといけない場面に直面します。
その時、その時の判断が、時と場合によってブレないかどうかをいつも意識しますが、
常にそう意識するようになったのは、大阪での修行と、その時のブレない先輩の
お陰だと改めて感じます。
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